虫尾由来

三田焼とは?PDF

虫尾新田窯跡

天明二年今を去る三百十五年前 内神屋惣兵衛陶器師 陶器製造するや名を『むしお青磁』と称す技術巧妙なるをもって各地産出するに至れり 後 息子重兵衛その事業を続け益々の盛りにして製品高も年々増加となる
 文化弐年に至り陶器師京都金吾亀助の門人 兵庫屋清兵衛なるもの京都より来尾し陶器の技術巧妙なるが故に製品多し各地へ 産出高増加となれり販路益々広む『 むしお青磁焼き』名を博す 続々製造なしつつありしに明治十年に至り事故のため惜い哉製造を中止するの止を得なき事となる 現今にてはその当時の製品は世人之を賞賛す (虫尾誌抜粋)

■虫尾新田窯跡 MAP

虫尾誌(抜粋)(2012/05/03)PDF

 ■第三隣保の大谷篤英様が虫尾公会堂保存の古文書「虫尾誌」を編纂されました。

梅ノ木山林記録現代訳版(2012/03/31)PDF

 ■第三隣保の大谷篤英様が「梅ノ木山林記録」を基に現代訳版を編集されました。

梅ノ木山林記録(2011/10/27)PDF

 ■第一隣保の大谷俊夫様が保存していた文書を公開していただきました。そこには江戸時代からの虫尾新田等の記述があり区民の方のご先祖の方のお名前も記載されています。大谷様、貴重な資料提供有難うございました。